あくじせんりをはしる

あくじせんりをはしる_d0065324_11132520.jpgかの別役実センセイの面白い本をまた見つけました。
題して ことわざ悪魔の辞典
そこらの、ありきたりのことわざ辞典と違って、音韻法則に則って知性の柔軟さと謙虚さを必要とする定義を示してくれます。
ホントはご一読願いたいのですが、皆さん色々ご都合もあるでせうから「世間遺産」 同様、拙が順次ご案内して参りたいと存じます。   どうかご贔屓にぃ038.gif








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1997.10  王国社・刊  ¥1,680  A-09-084



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騙されないように、ここはひとつじっくりお読みくださいネ026.gif

 「あくじせんりをはしる」
 今日の足自慢は、42.195キロメートルを走れば事足りる。千里もはしらなくてもいいのである。したがってどのマラソンランナーも、「悪事」に手を染め、それを走力の補いにしようとは考えていないのだが、このところとみと力をつけてきたアフリカ勢に対抗するためにも、試みてしかるべきことかもしれない。そして、この傾向が一般化すれば、負けてメダルがとれなかった時でも、さほど負い目を感じなくてすむ。


 
「あくじょのふかなさけ」
 男が、手に負えないもののひとつとして採り上げているものであるが、最大級ではない。もっと手に負えないものとして、「善女の深情け」というのがあるからである。にもかかわらず、「悪女の深情け」とう言い方ばかりが世に流布し、「善女の深情け」という言い方が口にされないのはおかしい、と思われるであろうが、あぶないからである。悪女に対しては、その長所ですら非難することが出来るが、善女にそんなことをしたら、何をされるかわからない。



「あくせんみにつかず」
 硬貨にツバをつけて、額にくっつけると、ペタリとそこにくっつくものと、はがれて落ちるものがある。この、はがれて落ちるのが悪銭である。現在通用しているものでは、一円玉と五円玉以外がそれと言えよう。お財布の中にすぐ一円玉や五円玉がたまってしまうのは、それが良銭であるからにほかならない。もちろん政府は、消費税というものを作って、その良銭をも我々からまきあげようとしているのだが・・・。



「あげあしをとる」
 ひょいと、持ち上げた足をつかまえてしまうと、一本足では安定を欠くから、必然的によろめくことになるというわけだが、相撲取りに言わせると、「どうしてその挙げてない方の足をとらないのか」ということになる。その方が、よろめかすだけでなく、もっとダイナミックに、ひっくりかえすことが出来るというわけだ。こういうことはやはり、専門家に聞いてみないといけない。今後は、「据え足をとる」と言うべきであろう。



「あしたはあしたのかぜがふく」
 これは、「アタシハ、アタシノ」を、間違えて言い伝えられてきたものである。そして「アタシハ、アタシノ」だとすれば、「カゼガ、フク」も、当然「カゼヲ、ヒク」でなければならない。つまり、「私は私の風邪を引く」のであり、「今日流行している風邪には影響されない」のであり、もっとせんじつめて言えば、「今日のことは今のこと」なのであり、したがって、「明日は明日の風が吹く」のである。



「あずまおとこにきょうおんな」
 東男というのは、野蛮人にほかならない。そして京女というのは、文化人である。つまりこれは、京が都であった当時、その洗練されすぎた文化を、東国の野蛮人の血を導入することによって、活性化しようという試みであった。したがって、現在、東京をうろつく男どもは、かつての京女以上に洗練されすぎて、ほとんどオカマになろうとしているから、野生のゴリラとでも番わせないかぎり、活性化されそうもない。つまり「東男にゴリラの雌」である。



如何でしょう?
もう少しお付き合いいただくと段々面白くなってきますヨ
次回あたりは、少しピンクっぽいのも出てきます。
by amamori120 | 2009-06-15 17:04 | ことわざ悪魔の辞典