「西太后に侍して」

「西太后に侍して」_d0065324_22152883.jpg「西太后に侍して 紫禁城の二年」 徳 齢・著 1997.4 研文社・刊 ¥2,520

西太后の極々側近に侍女として仕えた著者の手記です








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米国人ホワイトと結婚して、後に離婚しましたが、米社交界では、プリンセス・デーリンとして活躍したらしいです。皇族でもないのに、プリンセス・・・というのは僭称ではなく、西太后から、郡主の称号を許されたから。

原題は、”TWO YEARS IN THE FORBIDDEN CITY 紫禁城の二年”  ですが、99%は 頤和園で過ごしたので、”西太后に侍して” という訳題にしたそうです。

そもそも西太后については、映画 西太后北京の55日でのイメージと東洋史で習った知識だけで詳しくは知らなかったし興味もなかったのですが、何気に本書をgetして読んだらこれが意外に面白く、調べてみました。
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西太后人名辞典によれば: 清の咸豊帝の妃、同治帝の生母。満州旗人恵澂の女。葉赫那拉氏。
18才で宮廷に仕え、同治帝が6才で即位すると東太后と共に幼帝を助け慈禧太后と称す。次第に東太后を圧倒して、自分の妹婿の子にあたる光緒帝を立てた。
光諸帝は変法を要求する康有為らの意見を取り入れようとしたが失敗した。この頃、帝国主義の圧迫がますます強まり人民の反帝闘争が激化した。やがて義和団事件が起こり、 扶清滅洋 をスローガンとすると西太后は暗にこれを援助し、八国連合軍が北京に迫ると西安に逃れ、李鴻章が和議に当たり、その後いよいよ半植民地化は進んだ。この事件後、ようやく変法の意義を悟り、新政を実施しようとしたが、時すでに遅く清朝は崩壊に瀕しており共和革命高まりを感じつつ辛亥革命の三年前に没した。


また別の辞典によれば: 1835~1908 中国の皇帝側室。下級官僚の娘に生まれた。才色兼備で知られ、18才で宮廷に入って咸豊帝の寵愛を受けた。男子を生み・・・・

またまた別の辞典では:清の文宗(咸豊帝)の妃。満州の名家・葉赫那拉(エホナラ)氏の女。
穆宗(同治帝)を生み慈禧皇太后という。徳宗(光緒帝)の時,政権を専らにし、戊戌政変や義和団事件に際し反動政策をとった。諡は孝欽顕皇后。



ついでに、   について:1616~1912  満州族のヌルハチが1616帝位について(太祖)、国号を後金とし、その子太宗はこれを清と改め、その子、世祖の時に中国に入った。康煕、乾隆両帝の頃全盛。辛亥革命により12世をもって滅びた。
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関連記事 康熙帝
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関連図書 浅田次郎「珍妃の井戸」1997.12 講談社・刊 ¥1,680 の主な登場人物は
西太后 三代にわたり政(まつりごと)を行う晩清の女傑
光緒帝 清朝第十一代皇帝
珍妃  義和団事件のさなかに死んだ光緒帝の側室 勿論本書には登場しません
袁世凱 直隷総督兼北洋大臣
康有為 清末の公羊学者。戊戌の変法の推進者
李蓮英 西太后の寵臣だった宦官
   と、浅田サンにより紹介されています。

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李蓮英 宦官物語 にも出て来ましたね。

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さて、著者の父親は外交官でそれほど高位ではなかったのですが、著者は父親の赴任先フランスで教育を受け、帰国後、縁あって西太后に仕えることになりまして、美貌と頭、性格の良さで、たちまち西太后の大のお気に入りとなり、朝から晩まで側に侍ったのですね。
彼女の身に付いたフランス語も、外国使節を謁見するときにも大いに役立って、益々西太后の寵愛を受けることになりました。
だからこれほど、この時期に西太后のすぐ側に居た著者の手記は、まさしく西太后の真の姿を伝えるものと言えるかもしれません。
残酷な女傑・・・というイメージだったのですが、コレを読む限り、西太后は、気前が良くて、噂好き、お洒落で、気のいいオバアサンって感じです。
「・・・陛下はひどく面白い方でしたし、私も陛下のお気に入るのはちっとも困難でない・・・」
「陛下は非常にお世辞がお好き・・・」
「陛下もやっぱり普通の婦人と同じように、いろいろの癖といっしょに噂(ゴシップ)好きの一面もおあり・・・」

才色兼備と言われたと人名辞典にもありましたが、それは間違いなく本当だったみたいです。
「陛下のご記憶は少し異常と申し上げたいほどで、前には陛下に献上された贈り物の一々とそれからその献上者の名を覚えておいでなのでした。」
「太后陛下はおっしゃいました【・・・私が自分は今まで世に出てきたうちで一番利口な女で、ほかの誰も私とは比べものにならないとよく考えることを、あなたは知ってますか?】」




尤も、外憂内患はあったけれど最高権力を手に入れ、それが安定している時期だったということもあったからかもしれません。

また、西太后は、徳齢を王族の誰かと結婚させようと色々世話を焼きます。全くその気がなかった著者はお断りするんですが、全中国に君臨し、光緒帝でさえ、その前では跪く西太后はちょっと気分を害した程度で済ませてくれたりします。見合い話を持ち込んでくる親戚のオバサンみたいですね ww


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著者は、その父の死を契機にいとまを貰って西太后のもとを去るのですが、「支那の皇太后陛下の宮廷で送った二年間は、私の少女時代の最も波瀾あり最も幸福だった日としてしばしば思い返されるのです。」
by amamori120 | 2008-05-02 22:43 | 読後感・本の紹介