宗左近「伏流水日本美」
2008年 02月 18日詩人・仏文学者・評論家の著者が日本の「美」について語ります。
「日本美とは何か」「日本の美はどこに存するか」
陶磁、絵画、庭、書、生け花その他について考察した「美学」の本ですね。
もとよりすべてをご紹介できません。
「備前」という項目があります。
まるで詩のような文章。
抜粋してお届けします。
・・・・箱根美術館・・・・・
・・・・中世陶器の<備前>に向きあうことにする。ほとんどが、暗褐色。ときに赤い緋色が出ている。いつも無釉である。ただし、場合によって暗緑色の自然釉が掛かっている。よく焼き締められている。・・・
いずれも、かっちりしている。堅実である。浮薄なところがない。どすんと、重心が低い。作品というより、事物(オブジェ)という感じが強い。
<備前>のほとんどは、実用品であろう。だが、それらの作品は、用を超えている。桂離宮が、能衣装が、あるいはD51(デゴイチ) が用を超えているように。
しかし、どういう点で、<備前>は用を超えているのであろうか。
一口にいえば、実用品でありながら実用品以前の存在、つまり事物(オブジェ)に還ろうとする点においてである。
粘土をねって、ロクロで引く.
釉薬は掛けない。窯に入れて、高熱の火のなかに置く。
それだけのことである。技巧は弄さない。単純を旨とする。器形にも凝らない。素朴を尊ぶ。つまり、作品から人間臭さを消そうと努める。できるだけ天然のままであってほしいと願う。
・・・<備前>が、最も濃密に土の塊に似るのである。
・・・<備前>には、火照りがある。
溶岩。奥深く内向しているときには、暗緑色を呈する。
表面に萌え出るときには、火色となったり、緋襷の姿を現したりする。
溶岩は、台地の生命である。<備前>は、その溶岩を内臓して、生きている。活動している。
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ブロ友さんの中には、けーこさん、いーさん、かにちゃん ほか、陶芸をやっていらっしゃる方々が居られます。
ブキな、わたくし雨漏りは、せいぜいこんな本を読んで慰められているしかないのです