梓澤 要 「喜娘」

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1995.12 新人物往来社・刊  ¥1,800

第18回歴史文学賞受賞作です。



表題作 「喜娘(きじょう)」他、「惜花夜宴(はなおしむひとよのうたげ)」「夏の果て」「すたれ皇子」「嘉兵衛のいたずら」の5篇所収。

「喜娘(きじょう)」 著者が、あとがきに書いておられます。 
 史書を読んでいると、たった一度ぽつんとあらわれる名前に出くわすことがあります。喜娘の名もそうでした。『続日本紀』宝亀9年11月13日の項にたった一行。「判官大伴宿禰継人並びに前の入唐大使藤原朝臣河清の女(むすめ)喜娘ら四十一人その艫に乗りて肥後国天草郡に着く」
この一行だけが、大伴継人と喜娘、ふたりのふしぎな縁をしのばせるものなのです。喜娘がその後どうしたか、記録はなにもありません。もしそのまま日本に止まっていたら、継人の非業の死を彼女はどんな思いで訊いたのでしょうか。


著者は、このたった一行の記述から、ありあまる想像力、創造力を駆使し、平易な文体を用いて、たぐいまれな歴史物語を創りあげました。
歴史文学賞受賞も洵にむべなるかな・・・ですね。

「惜花夜宴(はなおしむひとよのうたげ)」
 ブロ友さんに、長屋女王さまと私が勝手にお呼びしている方が約一名いらっしゃいますが、これは本当の長屋王と、彼の愛した梅にまつわるお話です。

「夏の果て」
 聖武天皇の御代。藤原一門と橘(諸兄)の政争に振り回される写経生の物語。

「すたれ皇子」
 漢字で書けば、廃れ皇子・・・でしょうか。
石川広成は文武天皇の皇子として、また聖武天皇の異母兄として生まれ育ちながら、藤原氏の陰謀によって、嬪の地位から追放された母と共に曾祖父の元に引っ込んでしまう。
爾来、広成は、ひっそりと、目立たぬように、低い地位に甘んじながら初老の今日まで暮らして来たが、既に譲位していた聖武が死の床につくと、帝の位を巡って各勢力の動きが激しくなってきた。
今は、昔のいきさつを何も知らぬチンピラ小役人と同じ職場で、ひたすら頭を低くして過ごしてきた彼だが、出自は紛う事なき皇子。そんな彼を邪魔に思う者、利用しようとする者が居ても不思議ではない・・・

「嘉兵衛のいたずら」
 有名な奈良時代の名宰相・吉備真備の母の墓誌「吉備真備公母夫人楊貴氏墓誌」というものが江戸時代中期享保年間に、今の奈良県五條市で発見された。
実は、これは当地の庄屋の隠居で、学問好きの八木嘉兵衛と孫の多吉によるいたずらだった・・・
こまかくて、どうでもいいことですが、気になった所が294ページに一つ。
「・・唐の大女帝則天武后が・・・」は「・・唐の大女帝武則天が・・・」とした方がいいと思うんですが。(作品の出来には全く影響しません。)


up済みの 「女にこそあれ次郎法師」 も、とても面白い物語ですよ。
by amamori120 | 2006-08-12 19:06 | 時代小説を読む