
1992.1 日貿出版社・刊 ¥2,000 06.5.11 了
1990.9~1991.6 朝日新聞に100回に亘って掲載されたものだそうです。文章は朝日の記者、挿絵は剪画(せんが)家。剪画というのは、美術的な切り絵ですね。
下町の下町たる所以、下町っこの真骨頂を求めて、ベテラン記者と剪画の達人が織りなす下町探訪記です。
近代的なビルと木造家屋が共存する下町には、気取らない人柄や、粋でいなせな人たちがまだまだ残っているようです。
100篇の記事から、食いしん坊の雨漏りが例によって食い物関連記事を選んでご紹介します。

上野は、とんかつ発祥の地と言われます。上野のとんかつご三家とされるのは「本家ポン多」「蓬莱屋」「双葉」です。あと、「井泉」も有名ですね。私は、すべて食破しています。
ウナギの「伊豆栄」も江戸時代からやってます。数回行ったかなぁ。

根岸から根津へ抜ける言問通りに面した上野桜木町に、手作り豆腐で評判の「藤屋」があります。「地下33メートルから湧き出る井戸水を用い、国産大豆とニガリによる昔ながらの製法を守っている」そうです。

言問通りから谷中霊園に向かう途中に「愛玉子」(オーギョーチイ)という店があります。愛玉子とは台湾原産の木の実から作った寒天のような冷菓だそうです。池波正太郎の食物エッセイにも出てきます。
”格別の味はしない”と、この記者は正直です。

JR日暮里駅から東南へ歩いて5分足らずのところに「芋坂 羽二重団子」があります。漱石や子規の作品にも登場する名物団子ですね。私も、いずれ”甘党キングダム”にUPしたいと思っています。
記者と画家の感想 「名物にうまいものあり」

昔の神田連雀町、今の須田町、淡路町あたりには、名だたる味の名店が固まって在ります。鳥料理の「ぼたん」、鮟鱇料理の「いせ源」、洋食の「松栄亭」、そばの「藪蕎麦」、甘味処の「竹むら」。池波正太郎もこの界隈に出没したらしく、エッセイにもよく出てきます。なお、私も、これらの店すべて食破しました。「松栄亭」ですが、古ぼけていて、ボロイ店構え。漱石も口にしたという明治モダンの名残”洋風かきあげ”を記者達も食べたが、もう一つピンとこなかった・・・ようです。

前項に続き須田町には、江戸の味が看板の手打ちそばの店「まつや」もあります。池波は、ここで日本酒を飲みながら蕎麦を食べるのを楽しみにしていたそうです。私、ここも食破です。
筆者達も、評判通り・・・と満足しています。

日本橋本町1丁目の路地裏にある割烹「たきはち」の看板は、魚河岸料理です。
ここの主人の、魚のうまさを語る気っぷのいい調子はさすがで、聞いているだけで唾が湧くと記者は言ってます。

兜町・東証の目の前の路地裏に、うなぎの店「松よし」があります。お客のほとんどが証券・金融関係者で、商売の浮沈は株の上げ下げに直結しているそうです。分かりますね。

日本橋はハヤシライス発祥の地だと言われます。丸善の屋上にあるスナック「丸善ゴルファーズ」の壁には、丸善の初代社長、早矢仕有的(はやし・ゆうてき)氏の名前がハヤシライスの命名者として額入りで掲げてあるそうです。「ハヤシ発祥の店」は、あいにく接客態度が、よくなかったと記者は言ってます。初代社長のハヤシライス命名の経緯を丁寧に尋ねたのに、責任者とおぼしき中年男性は、鼻であしらうような対応ぶり。はやるから、客あしらいがいい加減になるのだとしたら、悲しい話だ・・・と嘆いています。

人形町界隈にも、味の店で通るうまいもの屋がたくさん残っています。
「来福亭」「小春軒」「芳味亭」といった洋食屋。「芳味亭」のビーフシチュウが旨かったことを覚えています。大正時代のカフェの趣を残す喫茶店「快生軒」。手焼きせんべいの「草加屋」。鯛焼きと小倉アイスの「柳屋」。粕漬けの「魚久」。
そしてシャモ鍋の店「玉ひで」。1760年創業という老舗中の老舗。私は、ここの有名な親子丼が食べたくて数回挑戦しましたが、列の長さに閉口して、すべてギヴアップ。記者達は20分以上並んでやっとありつけたようですが、酷評しています。「ぞんざいな女中さんの態度に、若い会社員がムッとしてやり合う。一人前六百円は値ごろだが、肉と卵だけでネギが入ってないのも物足りない。評判になるのも、考えものだ。」と。
否定的な部分も敢えてご紹介しましたが、基本的には、《下町》への限りない愛着が随所にみられる、いいリポートです。
この本を片手に、下町をそぞろ歩いてみたくなりました。