”山川” 再び (風流堂の銘菓 5)
2006年 04月 21日


度々引用する守安正「和菓子」(毎日新聞社1973刊)から、引用させて頂きます。
山川 松江市の名菓。風流堂の特性品である。
松江といえばすぐ松平不昧侯を思い出させるぐらい、不昧は茶道で有名である。
名菓「山川」は、不昧の創意によって作られた「不昧好み十二ケ月」の中の十月の好みであった。江戸大崎の下屋敷で茶会をされたとき、品川の名菓子司伊勢屋越後大丞に命ぜられて創製されたものである。侯の命令によって松江の面高屋新四郎が伊勢屋で修行した縁であった。
現在売られている「山川」は、精製されたウルチ米の粉と和三盆と塩味を加えた腰高のもので紅淡色と白色の二種である。
「散るは浮き散らぬは沈む紅葉葉の
影は高尾に山川の水」
不昧の短冊がそえてある。この菓子の真情を知るにはぜひ創製された当時の「山川」を知らねばならない。
当時の「山川」は三つ重ねの打ち物で、上と下とが淡紅色、中の一重が白色であった。上の表面は流水に散る紅葉、峰の鹿に月の二模様が鱗形で押されていた。すなわち、上の一重が散る紅葉で、下の一重が沈んだ紅葉をきかせたわけである。
不昧侯は毎年の十月の中旬までは淡紅色の品を使い、中旬以降になると黄葉色に変えたといわれている。
その深い心を理解するためには、「山川」をいきなり食べてはいけなかった。表と裏とに両手の指をかけて二つに割って食べた。凸所が山の峰で、凹所が細流になるのである。
現在の、「山川」はそんなもったいぶった食べ方をする必要はない。ただ詩情豊かな後日談がある。
清元界近代の名人、清元おようにまつわる秘話である。
おようは松江侯の側女某と二代目延寿太夫とのあいだに生まれた娘であったという。おようが十六才のとき、ふと不昧侯の自筆、「山川」の原稿を反古の中から見出した。身辺に感ぜられた侯の面影に、遠い想い出に誘われ、じっと原稿に見入っているうちに、彼女の天才は発揮された。幾度か沈吟しているうちに、「水の流れに月の影」が浮かんできたのでこれを補足した。これが有名な「散るは浮き散らぬは沈む紅葉葉の影は高尾に山川の水」の山唄であるという。
お疲れさまでした。 是非、「山川」をご賞味下さい。

