どらやき についての薀蓄

どらやき特集をやるつもりはなかったのですが、ついでですから、該品についてモノの本で調べてみました。

これは大きく焼き菓子に分類され、この種の製品では、もっとも大衆的なものである。
どら焼きという菓銘は江戸時代でも最古のものとされていた。江戸開幕の初期、寛文年間(1633)麹町3丁目の「助惣のふの焼き」として売られていた名品であったが、これを「どら焼き」と言うようになったのは、江戸の伝説によるものである。

かの武蔵坊弁慶が手傷を負い、武蔵野の一民家で静養していたが、立ち去るときにお礼といって、銅鑼と手紙を置いて行ったが、その銅鑼で焼いた菓子だから、どら焼きというのである。

最初は四角い形だったが、日本橋大伝馬町の梅花亭森田清の創案になる円形のどら焼きの流行によって、四角いどら焼きは滅びてしまったという。
助惣の場合は技法(銅鑼で焼く)から付けられた名称であったが、梅花亭のは銅鑼の形をした菓子なのである。

明治初期の梅花亭のものは、種皮がきわめて薄いものだった。これもやはり梅花亭が始祖である「三笠山」は皮が厚いので有名であったという。


                        守安 正 『和菓子』毎日新聞社
by amamori120 | 2006-01-12 23:59 | 甘党キングダム(どらやき)