樋口 修吉「東京老舗の履歴書」

樋口 修吉「東京老舗の履歴書」_d0065324_9504149.jpg
2001.5 中公文庫・刊  ¥780  元版:1999.5 中央公論・刊

惜しくも先年故人となられた樋口修吉さんが、東京のザ・老舗の歴史を、丹念な取材を二度も三度も繰り返して書き上げた本です。月刊誌「東京人」に連載した時(1997~1998)は16店ですが、この文庫本では9店に絞られています。

元黒門町の空也
先日UPした”空也もなか”の空也です。
この店の創業の地は上野山下の池之端、昔の町名だと元黒門町3番地(現・台東区上野2丁目)。明治17年(1884)のことです。屋号の空也は、初代が関東空也衆の一人だったから。関東空也衆というのは、踊り念仏の流れを汲み、向島の百花園などに集まって、踊りながら念仏を唱えるグループだったらしい。
 
店の看板商品は空也最中で、踊り念仏の拍子をとるときに叩く瓢箪を模したものという。
九代目市川団十郎の家で、古くなった最中を金網でちょっと焦がしたのを供されたのをヒントに、皮を焦がした空也最中を売り出して好評を博したといいます。

昭和24年に銀座へ進出。店は並木通りに面した6丁目の17坪!の土地に建てた木造二階家で、間口が狭く、格子戸の入口の上に暖簾がかかっていなかったら、まるで仕舞た屋のような、ひっそりとした佇まい。
この暖簾は梅原龍三郎が揮毫してくれた「空也もなか」の五文字で、梅原画伯の縦書きを左横書きにして仕立てたものだそうです。
樋口 修吉「東京老舗の履歴書」_d0065324_12131756.jpg


漱石の「猫」では苦沙弥先生の家で迷亭や寒月などの来客があったとき茶菓子として出されたのは”空也餅”。これ以外に、林芙美子の「匂い菫」には空也最中が茶菓子として、舟橋聖一の「白い魔魚」には空也最中が手土産として、小島政二郎の「金の指」には空也双紙が手土産として出てくるそうです。

”菓子は売れども貸し売りはせず”というモットーを堅く守っているようです。その菓子ですが、通年で店頭に並ぶのは、空也最中空也双紙、それに求肥の三つ。この他、二、三月にはクレープ包みの餡玉を桜の葉でくるんだ桜餅、夏には葛まんじゅう水羊羹。十月中旬から年末にかけては栗羊羹、十月後半から翌年四月末にかけては、白インゲンの餡を玉子の黄身と合わせた瓢箪型の練りきりの黄味瓢が出ます。「猫」に出てくる空也餅も冬には時々作るそうです。

銀座の店以外に支店を設けず、日祝日は休み。配達は人手不足につき一切せず、菓子が壊れるので宅急便配送もしない。もっぱらお客に来店して貰う。それも前もって電話か店頭で予約をして貰い、後日また来店して貰って手渡すという商法。

四代目で現当主も支店を出す気は毛頭ないようです。銀座のデパートから誘われても応じない。それは、支店を出すと量産しなければならず、機械に頼ることになるが、そうなると空也最中の持ち味が消えてしまうからだ。機械でなくて人手でやるからこそ、餡にしたとき、原料の小豆の皮と実の間の旨味やザラザラした感じも残る。

”良い材料を使い、材料の風味を生かし、あまり手を加えず、キリッとしたのが空也の菓子”と言い切っています。北大路魯山人も同じことを言ってますね。




三十間堀のボルドー
銀座の酒場の草分け。昭和2年に創業。
樋口 修吉「東京老舗の履歴書」_d0065324_12135794.jpg


旧木挽町八丁目の竹葉亭
明治初年から続く鰻屋。本店では、魯山人、河合寛次郎、富本憲吉、加藤十右衛門など作の器を使っている。
樋口 修吉「東京老舗の履歴書」_d0065324_12143557.jpg


銀座五丁目の壱番館洋服店
昭和5年、外堀通りとみゆき通りが交差する現地で創業。やはり魯山人も顧客の一人だった。
樋口 修吉「東京老舗の履歴書」_d0065324_12145417.jpg


谷中三崎坂のいせ辰
安政の頃、初代辰五郎が千代紙、錦絵の版元を創業してより続く。大正初年竹久夢二が開いた絵双紙屋とも取引があった。
樋口 修吉「東京老舗の履歴書」_d0065324_12151119.jpg


三田三丁目の大坂家
創業が元禄年間にまで遡れる。昭和2年に慶應大学正門斜め前に店を構えた。慶應の教授折口信夫が弟子の池田弥三郎や戸板康二を伴ってよく来店したという。山口瞳の母堂が考案した織部饅頭、わかくさ、君しぐれ、秋色もなか が代表的な和菓子。 
樋口 修吉「東京老舗の履歴書」_d0065324_12153528.jpg


根岸芋坂の羽二重団子
羽二重団子を営む澤野家は250年前から現在地に住んでいるという。正岡子規や漱石にも出てくる。団子の原料の粉は、山形県庄内産の粳米を寒中に挽いて寒ざらしにしたもので、それを普通の二倍以上も搗いて”搗き抜き”することに特徴がある。
樋口 修吉「東京老舗の履歴書」_d0065324_12155419.jpg


旧尾張町二丁目の銀座くのや
天保8年(1837)に菊池利助が久野屋善助から暖簾分けを許されたのがこの店の創業。趣味の和装小物、創作ガーゼ製品、創作裂地、袋物、帯〆、くのや足袋等を商う。五代目の弥三郎が創案した”七本原帯〆”はロング、ベストセラーという。
樋口 修吉「東京老舗の履歴書」_d0065324_12161069.jpg


神田須田町一丁目のまつや
今の経営者小高家が昭和2年に須田町の「松屋」という蕎麦屋を買い取ったのが「まつや」の始まり。連雀町の”やぶそば”、神田錦町の”更科”、上野”蓮玉庵”、茅場町”長寿庵”とならぶ蕎麦屋の名門。池波正太郎がよく訪れたという。
樋口 修吉「東京老舗の履歴書」_d0065324_12162827.jpg


MY書棚を眺めたら、並んでいる樋口修吉作品は次のものがありました。

☆ジェームス山の李蘭
☆アバターの島
☆銀座ラプソディー
☆銀座ミモザ館
☆回転木馬
☆たそがれトランプ
☆花川戸へ
☆贋冬扇記
☆最後の恋文 ミオ・パトローノ


本当に惜しい人を亡くしました。

by amamori120 | 2005-12-14 11:03 | 読後感・本の紹介