羊羹合戦
2011年 02月 23日
ブロ友の皆さん こんにちHAまだ鼻グジュ、頭 いつも以上にボ~ですが、
なんとかPCの前に坐れるやうになりました♪
前記事に続き、羊羹の話題です
恰度、↓ 読了したところです。

A11-031 : モー様のKナンバーに倣って、Amamori 2011年、読了31冊目を表します。


いずれも、奈良時代~幕末・明治初年が舞台の傑作揃いです。
ヴェテラン、中堅、新進気鋭の作家達が健筆をふるいます。
選・解説は縄田一男サン
ここでは餅の論、火坂雅志サン 「羊羹合戦」ですね。
ご案内の如く、2009年、NHK大河ドラマ「天地人」の原作者です。
早大歴史文学ロマンの会に属したことがあり、同窓には、ブロ友かにちゃん ご在住の阿南市長・岩浅嘉仁氏が居られるさうです。
「天地人」の主人公、直江兼続も登場しますヨ♪
豊臣秀吉が、京・聚楽第に徳川家康、前田利家、毛利輝元、上杉景勝はじめ300諸侯を招き、一人一人に、形見だとして金子(きんす)を手ずから配ったことがあったが、それは彼への忠誠を誓わせるセレモニーであった。
帰り際に引き出物として諸侯に下されたのが 羊羹。
これがただの羊羹ではなく、それまで誰も見たこともなく、食したこともない羊羹だった。
従来のは、小豆の餡に小麦粉、浮き粉を加えて蒸し固めた素朴な"蒸し羊羹”だった。
ところが、コレは色、姿、味とも古今無双のスバラ羊羹。
ひとたび口にすると紅色の美しい色にふさわしい華やかな香気が、口中いっぱいにあふれるのだった♪
京・伏見に店を構える鶴屋の五代目・岡本善右衛門という菓匠が作ったもので、後に鶴屋は紀州徳川家の御用菓匠となり、「駿河屋」 と店名を替えて、今も盛業中。 秀吉ゆかりの紅羊羹は、今もこの老舗の代表的銘菓になっている。
・・・・コレが我が国における 練り羊羹 の嚆矢だった訳ですね♪ (モノの本にも明記されています)
そこで家康、利家、景勝らの間で、この羊羹以上の羊羹を次の機会までに作って関白・秀吉の鼻を明かそう・・・羊羹合戦を仕掛けやうということになる訳です。
謙信に仕えた渡辺庄九郎は後嗣景勝の勘気に触れ庵住まいをしていたが、直江兼続によって景勝の前に呼び出され、事情説明・試食の上、この合戦をやるやう・・・紅羊羹以上の羊羹を作るやう命じられる。
それは、彼が京で村田珠光の門で茶道を究めた風流人ででもあったからだ。
当時の茶人は自らお茶菓子の制作にも関わりを持ち、庄九郎も菓子作りの経験があり、上杉家には他には、この任務に適した人材も居なかったので、妥当な人事と言える。
一ト月ほどかかって、紅羊羹の造り方を解き明かした庄九郎は、これを一歩進め、宇治の極上茶を用いて、新緑の葉のやうにみずみずしく美しい羊羹を練り上げ、どんな茶会に出しても賞賛間違いなしという一件を作り上げた。
しかし、伏見・鶴屋の紅羊羹の紅を緑に替えただけ、と皮肉な言い方をされれば、まっことその通りで今の言葉なら、オリジナリティがない、というのと同義。
これを提示することを断念した庄九郎は、さらに心血を注ぎ、身を削って、まさに天下一品なる練り羊羹を完成させる。
それは 越乃初雪 と銘を付けられた逸品。
雪国の越後のイメージを打ち出すために、羊羹の表面は、雅趣のある白い衣で覆われている。そして断面が翡翠色の切り口を見せている。
この白い衣を着せるのにも大苦労。 白砂糖を直にまぶす、求肥をかぶせる・・・等の試みもことごとく失敗。ようやっと見つけたのが、”火入れ”だった。
羊羹を鍋に載せ、火入れすると、羊羹の中の白砂糖が外に滲み出し、それが白く固まって、恰も初雪のやうな風情を醸し出すのであった♪
将に、羊羹に越後の雪を降らせた・・・のである。
試食も大成功。景勝以下重臣達も物も言えぬほどの感銘を受ける。
これなら 紅羊羹 には150% 否 200%勝つとの評価が与えられた。
しかし、この銘菓はついに世に出ることはなかった。
それは名宰相・直江兼続の高度な”政治判断”によるものであった。
250石での再雇用を拒否した庄九郎は、菓子作りに生きる道を見いだすべく春日山城下を去っていく・・・・・
なお、この羊羹合戦に加賀・前田家で参加したのは、藤村忠左衛門。
なんと37年後にやっと完成した羊羹は・・・味淡くして格調高く、藤紫の色もまた雅なり・・・と藩主から絶賛され、前田家のお抱え菓子匠となる。
のちに本郷・赤門そばに店を構える。
菓子舗「藤むら」 である。
今は店売りを止めて三越での予約販売のみの営業になってるやうです。

by amamori120
| 2011-02-23 13:28
| 甘党キングダム(書籍等)

