Turismo a Pompei
2010年 06月 08日
家人Tの前々回の訪伊は長女と二人ででしたが、ナポリに来たのにポンペイには行かれなかったそうで、ココは彼女のメインテーマの一つです。 ポンペイのことは、皆さん夙によくご案内だと思いますが、一度おさらいをしておきませう。
ポンペイにはすでに紀元前8世紀頃からオスク語を話す人々が定住していたらしいです。
前6世紀にはギリシャ人の渡来もあったようです。
前5世紀末にはサンニオ人というのが、この辺りからカンパーニャ平原を支配していたのですが、前80年、ローマに征服され、ここは、ローマの上流人士の別荘地となって栄えたようです。
ところが、西暦79年8月24日、ヴェスビオ火山が大爆発を起こします。
降ってくる灰は、たちまちのうちに1mを越え、一日中の降灰量は6~7mにもなったといいます。
灰の後には火山礫や火山弾が町を襲い、さらには亜硫酸ガスなどによって、町は崩壊し、人々は全滅してしまひました。
皆さんも西洋史で習ったと思いますが、小プリニウスという博物学者が恰もナポリの岬に住んでいて、実見したこの災害のことを正確に記録しているそうです。
とてつもなく厚い灰の層の下に埋没したポンペイは長~~~い間、忘れられていましたが、1748年にブルボン王朝のナポリ王カルロ七世によって発掘が始められました。
ヴェスヴィオ山から東南にあるポンペイに向かっての風向きだったので、ポンペイだけじゃなく、エルコラーノやスタービヤも同じ目に遭ってます。もし風向きが西向きだったらナポリが全滅していたかも。

色んな資料がありますが、拙が参考にしたのは、この本です。

西本晃二・著 東大イタリア文学科の教授だそうです。
それでは例によってポンペイ乱撮、行きますっ













これから先しばらくは、未成年の方はご遠慮願います。


室内の壁画は、行為を描いたものばかり。
1960年代に、↑の本の著者が訪れた時は、女人禁制。入れなかったそうですが、今はフリー。旅友のお姉様方は千軍万馬の強者?揃い。平気の平左のようでした ww
F市の聖と言われる(言ってる ww)拙としては、全員が良家の奥様でいらっしゃる皆様から総スカンを食わされることが心配ですが、思い切ってUPいたします。


なお、この壁画については、↓の本でも、特に言及しています

<雨漏りメモ>
↑のルパナーレと呼ばれる娼家。 Lupo(狼)から来ているそうです。 皆様、よくご存じ、ロムルスとレムス兄弟が狼の乳を飲んでる像がありますが、あれは狼じゃなく娼婦に育てられたんだそうですヨ

また乱撮 続けます









気の弱い向きはパスしてくださいませ






お付き合いありがとうございました。
それでは浅間山の雄姿をお見せしてポンペイ篇を終わります。
Grazie


