新語海 番外編(ラ抜き言葉など)
2010年 01月 27日
宇野信夫さん。
芸術院会員。文化功労賞受賞。劇作家。
「言葉」に拘るエッセイ集ですが・・・

戦前、著者の知人の家で、噺家を集めて 駄洒落の会 が催されて、その結果が著者のところに知らされたことがあったようで、その中の傑作と思われるものが披露されています。
1 佐渡は能登なれ山となれ
2 甲府で近きは男女の道
3 松本すぎれば暑さ忘れる
4 木曽から出た筏
5 水戸の噂も七十五日
6 銘仙チクチク夜河を渡る
7 毒ガス七日八日 (六月)
8 鮭は出る出るすずこはふえる(坂は照る照る鈴鹿は曇る)
9 牡蠣酢にご用心
10 鯰食わず
11 するめ百まで
12 両国は家に近し
13 長短から駒が出る
14 おれのいない間に転宅
15 鯖はいよいか食いよいか
16 石碑の立つのは早いもの
17 法事の金は望み次第 (褒美)
18 焼香のしたい時分に親はなし
20 おこもりならば泊まらんせ (おとまりならば)
21 アカ桶は三文の得
22 尻を抱いて罪あり (玉を抱いて)
23 経文が物を言う (証文)
24 お布施うれしや (逢うてうれしや)
25 法事にご苦労お茶あがれ (おおきにご苦労)
26 明石が悪けりゃあやまりましょう (わたしが悪けりゃ)
著者は、言語学者でもないし、研究者でもないけれど、劇作という商売柄、言葉というものに特別の注意を払わざるを得ない立場ですね。
最近の言葉の乱れを憂いて、まちがってる言葉、おかしい言葉を数多く採り上げて、我々若い者の ww 蒙を啓いてくれます。
いちいち尤もな論が展開されますが、一番共感を覚えたのは 「ラ抜き言葉」「とんでもございません」です。特に後者については、こんな日本語はない、とイカッテいます。
友人、乱読ハンぐるまん氏が、恰も同様の記事をUPしているので、同意を得て、ご紹介いたします。
オジサンはイカッテいます。
昔から、年輩者は若者に対して常にイカッテ来ました。
「若さ」への嫉妬ということは別にしても、色々な本を読むと、どんな立派な人も若者にイカッテいます。一番印象に残っているのは、わが敬愛する阿川弘之さんですが、残念ながら書名を忘れてしまったので、引用不可です。彼は今時の若者の、すること、なすことすべて気にいらんのです。そして絶望的にイカッテいました。
さてタイトルの「ラ抜き言葉」ですが、好青年たる小生でも、ガキやアマガキが、身の回りあるいはTV等でこれをやると、彼(女)達に殺意さえ抱いてしまいます。活字等を見ても同様です。見るたびに腹が立ちます。編集者の知能を疑ってしまいます。青木雨彦流に言えば”知能発展途上”なんですね。
見れない 食べれない 出れない 着れない ・・・
こういう言葉を見聞きすると、そいつの人格まで否定したくなります。拙blogに以前「紳士とは?」にも書きましたが、某社のエンジニアリング部門で調達の仕事をやっていた時、ダークスーツに白い靴下を履いた不心得者を追い返したことがありましたが、やはり、この「ラ抜き言葉」を連発するのが居て、注文を出さなかったことがありました。「変なオヤジ」と思われたかもしれませんが、こんな感性の営業マンに仕事をやる訳にはいきません。
それと「とか」。我々の感覚では、この言葉は対象が複数の場合に使うものと承知しています。つまり、AとかB、CとかDというふうに。ところが今時のアマガキは「これとかワア↑」などとヌカスのです。対象が単数なのに「とか」を使うんです。電車の中で化粧する手合いと同様、アホか、と思います。
次に、困ったもんだ、と思うのが「とんでもございません」。
どうも皆さん誤解してらっしゃるようで、そこそこの人物と一般に思われている人でも次のようなことを仰有る。
トンデモアリマセン 丁寧版だと トンデモゴザイマセン
これが正しい日本語だと思っていらっしゃるんですかね?
トンデモというものが、ある、とか、ないとかいう話じゃないんです。(← とか の正しい用法)
これは形容詞なんです。語幹は、トンデモナ なんです。
ウレシい、カナシい、オオキい、チイサい と同じなんです。 トンデモナい なんです。
昔、習ったように「かろ かっ く い い けれ」と活用するんです。
だから トンデモアリマセン は× とんでもないです が○
トンデモゴザイマセン は× とんでもないことでございます が○ なんです。
てなことを娘どもに言い聞かせたものですが、小癪にも彼女達は反論するのです。
曰く「今、使われている言葉が今の言葉だ」と。
「だから、それは間違っている」と言ってもダメなんです。
わが娘ながら、ひっぱたいてやりたくなるんですが、それもならず、腹ふくるるわざにして、ますますユニクロのXL脱出も困難な昨今なのであります。
皆様のご意見を伺いたいものであります。

