あぶらにみず 他

あぶらにみず 他_d0065324_11132520.jpgかの別役実センセイの面白い本をまた見つけました。
題して ことわざ悪魔の辞典
そこらの、ありきたりのことわざ辞典と違って、音韻法則に則って知性の柔軟さと謙虚さを必要とする定義を示してくれます。
ホントはご一読願いたいのですが、皆さん色々ご都合もあるでせうから「世間遺産」 同様、拙が順次ご案内して参りたいと存じます。   どうかご贔屓にぃ038.gif







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1997.10  王国社・刊  ¥1,680  A-09-084



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あぶらにみず

 中東には油はあるが水はない。日本には、水はあるが、油はない。中東の油に火がつき、日本の水で消せば、双方なくなる。つまり、油と水は、常にあっちとこっちにあって、「欲しいなあ」と思っているだけのほうがいいのである。


あまいしるをすう

 「飲む」というのは、誰はばかることのない行為であるが、「吸う」というのは、やや人目を気にし、こっそり行うべき行為である。人が「甘い汁」を「飲む」のではなく、「吸う」のは、それがよくないことと知っているからにほかならない。何故よくないのか。医者にいつも言われているではないか。糖尿病になるからである。つまりこの言葉は、糖尿病へのいましめ、と解するべきであろう。


あまりものにふくがある

 十三人姉妹の、最後に残ったひとりの娘と結婚することになった時、相手の男に仲人が言う言葉である。そこで彼は、それにすがって苦難に満ちた結婚生活を送ることになるが、言うまでもなくこれが可能なのは、必ずや「福がある」に違いないという確信にほかならない。おわかりであろう。この娘は、他の十二人に比較して、容姿で劣り、性格も悪く、持参金が少なくとも、「福がある」という言葉をもらえるだけで、他の十二人よりはるかに安定した結婚生活を送れるのである。つまり、「福」というのは、この言葉そのものにほかならない。


あめふってじかたまる

 かつては、「夫婦喧嘩をしてかえって夫婦仲がよくなる」というような意味であると、理解されていたが、今日では、夫婦喧嘩をすると、すぐ離婚してしまう。そこで最近では、「雨降って」を「不穏なこと」ではなく、「安らぎを覚えること」であると教えるようにしているのだが、すろとどの夫婦も「やって仲がよくなるのだから、あのことだな」と思ってしまうのだ。「おい、今夜雨降ろうか」という夫婦が、ここへきて増えているのはそのためだろう。思い違いもはなはだしい。


あらしのまえのしずけさ

 拷問の専門家は、拷問にかける前に道具を見せ、その使い方を説明し、使ったらどうなるかを、こと細かに言って聞かせる。すると犯人は、自分自身でその痛さと苦しみを頭の中に思い描き、拷問などしなくても、すべてを白状してしまう。「嵐の前の静けさ」も、そのためのものである。つまり、嵐が来たらどうなるかを、我々自身に思い描かせるのだ。充分に恐怖し、反省したところで嵐がやってくる。こちらは反省し、すべてを白状するつもりになっているのだから、嵐なんか来なくてもいいのだが、拷問の専門家は白状させるためにそうするのに比較して、嵐の場合は、単にいやがらせのためにそうするのである。


あるときばらいのさいそくなし

 借金をする場合の、二番目に都合のいい条件とされている。言うまでもなく一番は、「有る時払わず催促なし」である。勿論一部には、「有る時払わず催促なし」なら、借金ではなく泥棒だという説もある。いずれにせよ借金は、こせこせしない泥棒に似ている。貸す方はいい面の皮だが、借りる方は更にうるさく、「催促なし」も、単に「返せと言っちゃいけない」だけでなく、それを暗示する「そぶりもしてはいけない」と言っている
 



如何でせう?
別役センセイに騙されはしませんでしたか?
次回も、お楽しみにぃ (^_^)/~
by amamori120 | 2009-09-22 11:33 | ことわざ悪魔の辞典